Counterpoint ニューヨークスタイルのピザを日本に広めたパイオニア。[PIZZA SLICE]が起こすドラマ。 PIZZA SLICE

1980〜90年代のニューヨーク。イタリア系の移民たちから普及されたピザは、1スライスから食べられるという手軽さから若者を中心に広く愛された。そんなストリートのグルメを、サイズ感や味はもちろんそれを取り巻く文化丸ごと日本に伝えたのが[PIZZA SLICE]だ。オーナーの猿丸浩基(ひろき)さんは、10歳くらいの時には一人で宅配ピザを注文し、14歳にして一人でハワイに行き本場のニューヨークスタイルのピザを食べ、25歳で修業の為ニューヨークに渡ったという筋金入りのピザラヴァー。帰国後、現地で学んだノウハウをもとに2013年に代官山にお店をオープン。現地の雰囲気を味わえるピザ作りに力を注ぐだけでなく、アーティストやブランド、メディアとの密な関わりを築きながら人や文化が交わる場所を目指してきた。2025年3月に静岡[cosa]への出店を控え、新たなフェーズを迎える猿丸さんにお話を伺った。
1980年代のアメリカに憧れた少年。「構想ノート」に書き込んだ夢。
◇まずはピザの世界にのめり込んで行った経緯を教えていただけますか?
ピザとの出会いは幼稚園か小学校低学年くらいの頃です。母親の友達でアメリカに住んでいる人がいて、アメリカのコミックとかお菓子とか、当時(1980年代)流行ってたものを送ってきてくれてたんですよ。そこで読んだ『タートルズ』のコミックの中にピザが出てきて。それから映画『E.T』でピザを注文して食べるシーンも観たりして、「アメリカにはこういう風にカルチャーとして日常の中にピザがあるんだ」って知って少しずつ憧れるようになりました。その頃、日本にもデリバリーのピザ屋が増えだすんですけど、僕の地元にもドミノ・ピザができて。当時、新しいものだから頼むじゃないですか。ピザボックスに入ったペパロニのピザを見た時に「これ漫画とか映画で見たやつや!」ってなったんです。そこから夢中になって、誕生日とか友達が集まった時とか、ことあるごとに頼んでもらって食べる日々が始まったんです。その後も、『ホームアローン』とか『タートルズ』とか、ピザが出てくる映画を見るたびに、かっこいいアメリカ像とピザがリンクしていきました。

◇子どもの頃の猿丸さんにとって、ピザは“イケてるアメリカ感”を構成する重要な要素だったわけですね。
そう。80〜90年代くらいのアメリカのカルチャーが好きで、ピザもその一つというか。あと映画で描かれてたアメリカ風の食べ方にも衝撃を受けました。「雑に食べる」っていうんですかね。今は許される場面も多いかもしれないけど、僕らが子どもの頃ってまだ行儀良く静かに食べるのが当たり前で、そうしないと親に怒られる時代でした。でもアメリカの映画では、例えばシリアルを立ったまま食べるとか、ポップコーン投げるとか、あとご飯残すとか、そういう“雑さ”が自然に描かれてて、「かっこいい!」って思ってたのを覚えてます。
◇そういったアメリカ感やピザへの憧れが仕事に繋がったのはどういったきっかけだったんでしょう?
若い時は何も考えてなかったし、いろんなものが重なって結果的に仕事になったって感じですけどね。学生時代はHIPHOPにも興味が出て、イベントを主催したりするんですけど、その時には「お店やりたい」って思うようになりましたね。人が集まること自体に興味が出てきて。その頃には「ビジネスをやるなら何がいいんやろ」って考えてはいました。カフェとかハンバーガーとかにも目移りして、でも違うか……って悶々としてた時に、ふと、中学生の頃に将来の目標とかやってみたいこととかアイデアを書き綴っていた「構想ノート」の存在を思い出します。その頃、初めて一人でハワイに行った時にスライス売りのピザ屋を食べて「これが日本にあったら良いのにな」と思って、それもノートに書いてたんですよ。それを改めて読み返した時に「たしかに今(スライス売りの)ピザ屋が日本にあったら喜んでくれる人がいるかも」と思ったし「ピザのことなら誰よりも好きだったし、他にやってる人もいないからビジネス的にもいけるかも」と考えて目指すことになります。


◇当時、個人でやられているニューヨークスタイルのピザ屋さんはほとんどなかったんでしょうか?
あったと思うけど僕はあんまり知らなかったですね。働く店を探したけど理想のところが見つからなくて「やったらもうニューヨーク行くしかないなあ」って。本場に行って覚えた方が早いし、人から「こんなの本物じゃない」とか、あれこれ文句言われることもないじゃないですか。「本場に行って色々経験した結果、日本でこれをやってます」って言えた方が説得力があるなって。
◇幼少期からずっと行動力がすさまじいですね!ニューヨークのピザ屋では、タダ働きから始めたと伺いましたが……?
そうそう、ずっとタダ働きでした。というよりも自分から「給料いらんから勉強させてくれ」と言ってスタートしましたからね。1年半くらい働いて、最後の方はチップを分けてはくれてましたけど、基本給はなかったです。でも学んでる時期は楽しかったですね。今でも戻れるなら戻りたいくらいです。
◇最初はどういった仕事から?
みんな意地悪とかじゃないけど、当時アジア人が働いてなかったのもあって、指示がなかったんですよ。ただそこにいるだけで邪魔やし、「どけどけ」みたいな扱いで。でも、どこでも最初はそんなもんかなって思ってました。「暇やしなんかしよ」って思って、掃除からやってました。テーブル拭いて、綺麗にして整理整頓して、調味料の瓶の中身が少なかったら勝手に補充したり。
◇まずはやれそうな事からやってみるという。
「ただ立ってるよりかは手を動かしとくか」くらいの感じですけどね。でも一番めんどくさい仕事である掃除を率先してやるし、周りのスタッフたちも「こいつ便利やな」って思ったのか、少しずつ「生地作っといて」とか「チーズ削っといて」とか他の仕事も頼んでくるようになります。僕がなんでも「OK、OK!」って率先して引き受けてたのを見て、向こうは半分イジリというか、面倒な仕事を押し付けるみたいなニュアンスもあったかもしれないけど、僕的にはお店作りのパッケージというか、みんながどういう感じで働いてるのかが全部知りたかったので「ラッキー」って感じでしたね。雑用をこなしながらも、ちょっとずつ「これってどういうこと?」って片言の英語で聞いたりして、吸収していきました。
◇まさに映画のようなストーリーですね!
しかも全てが映画で見てた光景ですからね!勤務時間も決まってなくて好きな時に来て好きな時に帰るみたいな感じでしたけど、全部学びたいから1日十何時間くらい店にいました。お金もないから特に行くところもないし、店に行けばピザも食べれるし、ドリンクも飲めますしね。で、後半の方は友達がやってるパーティに遊びに行ったりもするようになるんですけど、そうやって街で遊んだりするなかで感動したポイントも今の店作りのアイデアの土台になっています。
◇なるほど。過去のインタビューで「日本では新しいものとして認識されてるけど、自分たちはニューヨークのフードビジネスや店づくりにならってそれを続けてるだけ」とおっしゃっていたのが印象的でした。

そうですね。ただオープンから15年ほど経っているので、自分たちの「好き」と、今の時代的に求められてるものとの違いが必ず出てきてると思います。そこを合わせていける人が一番かっこいいと思うので、今またちょうど勉強してるところです。根本的に感動するものって普遍的だと思うので、変わらないかっこよさもキープしつつ、時代の流れとともに変わっていくものも認めながら、常に新しいものでありたいですね。
◇今まで発揮してきたご自身の感覚に加えて、次世代の感覚を取り入れるというのは勇気がいることではないでしょうか?
勇気はいりますけど、継続させることが一番大事なことだと思うんです。人が来ないとほんとに意味がないですからね。35歳くらいまでは若者の感覚で良いし、第一線でやってても良いと思うんですけど、そこからは自分たちの老いを認めつつ、若い子たちにも教えてもらうような体制にしないといけないんです。僕たちが「あの時代のアメリカが良かった」って決めつけると、絶対かっこ悪いものになっていくんで。そういう意味では静岡の店も、若い子の感覚や意見をどんどん入れられたらいいなと思っています。

広がり続ける[PIZZA SLICE]ブランド。ローカルとアジア圏への進出。
◇グラフィックアーティストのVERDYさんとの共同監修のもとオープンした大阪の[Henry’s PIZZA]も、まさに若い世代にアプローチされている印象があります。
[Henry’s PIZZA]はもうVERDYの力ですね。今はまだ「普通のピザ屋」という印象かもしれませんが、自分たちが青春時代を過ごして、めっちゃリスペクトもある大阪に、東京に並ぶような情報やカルチャーの中心的なスポットを作れたら、これ以上の社会貢献はないよねと言って始動したのが[Henry’s PIZZA]なんです。なのでファッションやアートシーンにも寄り添いながら、若い子たちの交わりのきっかけになるようなことをやろうとしています。店長の新名(シンミョウ)ってスタッフも、もともと2年半くらい[PIZZA SLICE]で働いてくれてたスタッフです。
◇同じビル内にギャラリーもあったりと、確かにVERDYさんの手腕が光っていますね。同じく静岡[cosa]への出店を決めた心境やきっかけについても教えていただけますか?
従業員も増えていくにつれて、店舗を展開することを考えた時に、東京の中よりも、スタッフが働く場所をもっと幅広く選べる環境を作ってあげたいなって思うようになりました。例えば、郊外でゆっくりやりたい子とか、静岡と原宿の2拠点で働きたい子とかね。そういう感じでローカルにもお店を作っていけたら良いなと考えてたところに静岡[cosa]への出店のお話をいただいたんです。今の時代、なんでもかんでも東京に全部がある時代でもなくなってきてるので、地方にもコーヒーショップのような感覚でかっこいいピザスタンドがあって欲しいなって思って。今までうちで働いてくれた子たちもいろんな場所で独立やフランチャイズをしてくれたら嬉しいです。その最初のきっかけが静岡になります。あと今年、海外にも[PIZZA SLICE]をオープンする予定なんですけど、そこでも、うちで働いてくれてた台湾人のスタッフが社長として立ってくれます。
◇ローカルだけではなく、アジアにも[PIZZA SLICE]が!これまた時代が変わってきているような。
僕と同じように、あの頃のアメリカを経験して良いなって思ってた層がアジア各地にいたと思うんですよ。でも実際にそれをビジネス的に成り立たせるようなピザスタンドは当時なかった。だから今は、韓国、台湾、インドネシアとかで僕らの店作りのベースを良い意味で真似してくれる人が出てきてて。それが形になって自分たちのスタイルをアジア圏で提案していくきっかけに発展しているんです。

貧しかったあの頃の思い出を胸に……目指すは[cosa]の玄関口!
◇他にも[PIZZA SLICE]で数年働いたあと独立された方も多いと思うのですが、印象的な方がいれば紹介していただけますか?
高橋っていうスタッフがいて、一番最初にアルバイトで入ってきてくれた子なんですけど。高橋は、もともとお父さんが千葉でピザ屋をやってて、「自分もピザ屋をやりたい」っていってうちを訪ねてくれました。7~8年くらい働いたあと、一度は閉店したお父さんのピザ屋の名前を受け継いで浅草でお店をオープンしたんですよ。むっちゃいいストーリーですし羨ましいですよね。息子がお父さんのピザを継ぐっていう。
◇素敵な話!ロマンがありますね。
彼はピザ屋でもありスケーターでもあるので、カルチャーにも詳しい子でしたね。もちろんそんなストーリーだったり大層な理由を持ってなくて「なんとなくかっこいいから」という入りで、結果的に続く子もいますよ。でもそんな単純な理由でも良いと思うんです。「ピザ屋ってなんかかっこいいな」くらいの。そう思われるように自分たちも努力したいし、今いるスタッフたちにもそう思ってもらえるように働いて欲しいという気持ちはあります。静岡でも、そういうモチベーションの方でも全然良いです。徐々にピザのことを知って、好きになってくれたら嬉しいですね。
◇必ずしも志が高いといけないわけではないと。
オフィシャルの求人の投稿では「ピザに興味がある方」と書いてはいるんですけど、個人的には「友達作りしたいなー」くらいでも大歓迎です。

◇静岡店におけるメニューやお店作りもかなり進んでいますか?
メニューはもうほんとにシンプルで東京と変わらないです。ピザ一枚だけ食べる、くらいでも気兼ねなく来れる場所にしたいんすけど、その根本にあるのってやっぱり自分が貧乏だった頃の感覚なんです。お金がなくて、行くところも制限されてた経験があるんで。そうじゃなく、ピザとドリンクで1,000円くらいにおさまって、彼氏が彼女の分をご馳走するにしても負担になりすぎないような感じでね。高校とか大学の頃って意外とそういうの大事じゃないすか(笑)。
◇分かります。そう考えると、都市部の商業施設のレストラン街はカジュアルというよりも、「たまのご褒美」的な感覚があります。
「全部ええもん使ってて高い」みたいな風潮が強すぎると、お金がないと遊びに行けない場所になるんですね。そうじゃなく、例えば一番入りやすいところに立ち飲みの焼き鳥屋があって、串一本とドリンク一杯でサクッと飲んで帰る、みたいなことができたら激アツじゃないですか。要は、お金がなくても溜まれる場所が必要なんです。もちろん厳しい時代ですし、お金も稼がないといけないんですけど、売上だったりおいしさの追求以外にも、そういう憩いの場所みたいなものを作る努力をみんなでしないといけない。代官山に[PIZZA SLICE]一号店をオープンした時も、内装にかなりお金をかけたので本来は客単価が高い飲食店をやった方が良いのかも知れないけど、そういう場所で(当時の値段で)390円でピザを食べられるっていうのが個人的に大事だったと思います。その街における提案というかね。だから[cosa]は、「今日は贅沢しなくていい」って時も行けるお店もあって、パートナーの誕生日を祝いに行けるお店もあって……っていうバランスの良い場所になってくれたらなと思います。
◇[PIZZA SLICE]はそんな[cosa]の玄関口になるかもしれないですね。
そう、若い子たちに向けた玄関口にしたいです。例えば気軽にピザを食べに来てくれてた学生さんが数年後、社会人になった時に、2階のフードホールでナチュラルワイン飲むようになるとか、そういう使い方でも良いと思うんです。それからお店同士の交流も大事だと思います。帰り道に[cosa]内の別の店の子がピザを食べに来てくれて、うちのスタッフが「今日ロス出てしまったピザ、持って帰る?」みたいな、そういうやりとりがあってもいいじゃないですか。そこからさらにビルの近辺で働いてる方々も巻き込んで良い空気感にできたら最高ですよね。その為には「お金かけなくても行ける」という状態にしておかないといけない。ただのピザ屋ですけど、そういうのを考えながらやってます。

「子どもの頃から映画の影響をめっちゃ受けてる人生なんすよ」と話す猿丸さん。その時々の直感に従って全力投球してきた彼の人生は、既に映画のように波瀾万丈だ。めまぐるしい時代の移り変わりをクールに見極めつつも、ピザカルチャーにのめり込んでいった頃のピュアな情熱を忘れずに走り続ける彼を、次はどんなシネマティックな展開が待っているのだろう。[PIZZA SLICE]“静岡編”、乞うご期待。
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ニューヨークスタイルのスライス売りのピザをいち早く日本に広めたパイオニア的存在。現地のピザスタンドに限りなく近いビジュアル、味、空気感を楽しむことができるほか、Reebokとのコラボレーションや他の飲食店とのポップアップといった独自のアクションも注目を集める。洗練されつつ温もりの感じられる店作りで、地域・世代・コミュニティを問わず人々が集う街のハブとしての役割を担う。
[PIZZA SLICE]
住所 : 〒150-0033 東京都渋谷区猿楽町1-3 代官山上新ビル 1F
営業時間 : 11:00-22:00
不定休[PIZZA SLICE CAT STREET]
住所 : 〒150-0001 東京都渋谷区神宮前5丁目17−25 B1
営業時間 : 11:30 – 22:30
不定休[PIZZA SLICE COMMISSARY]
住所 : 〒103-0023 東京都中央区日本橋本町3丁目11−5 日本橋ライフサイエンスビル 1階
営業時間 : 10:30 – 22:00
不定休