Until the Senses Heighten 「最後に味覚が使われるまでの、ほかの4つの感覚を作る」。五感で楽しむラーメン店 サカノウエユニーク
偶然には2種類ある。突拍子もないところから降って湧いたように起こる偶然。もう一つは、「願えば叶う」タイプの、努力が引き寄せる偶然。今回話を聞いたのは、後者の「引き寄せ力」がとっても強いラーメン屋店主・吉井浩祐(よしいこうすけ)さん。ストリートでの遊びを通して培った “五感” を武器に、鹿児島から全国へ羽ばたく唯一無二のラーメン店[サカノウエユニーク]を作り上げた経緯を聞いた。
昼は飲食業、夜はイベント業。二足のわらじで引き寄せた奇跡の数々
◇簡単に自己紹介から、お願いいたします。
吉井浩祐です。42歳。高校に調理科があって、卒業と同時に調理師免許もらって、最初は大阪の飲食店に就職しました。だけど、そこはすぐ辞めちゃったんですよ。もうなんか遊びの方が楽しくて(笑)。18とか19のときとかは、なんかみんなが地元で遊んでるのがすげー羨ましくて。だから「地元帰ろう」ってなってわりとすぐに鹿児島に帰ってきて、親父がしてた弁当屋でアルバイトしながら、ずっと遊んでました。
◇飲食業のほかに、イベントを自らされていたというのをお聞きしました。
そうですね。ハタチ過ぎくらいから、クラブでDJとかして遊んでました。自分でゲストを東京から呼んだり、札幌からTHA BLUE HERBとか呼んだりして。でも、うちの親父の弁当屋がもうやめるってなったときに、ちゃんと就職しないといけなくなって、そのときに初めてラーメン屋に勤めたんですよね。
◇じゃあ、ずっと飲食のことをやりつつ、イベントもご自分でやりつつ。
そうです。だから、昼の業態の飲食が多いです。
◇そうか、夜はもう……。
遊ぶために(笑)。
◇お弁当屋さんからラーメン屋さんというと、結構な業種変更ですよね?
弁当屋で働いてたのは、うちの親父がやってたってたので手伝いしてあげないとってのもあったし。あとやっぱり自分の家だったから、時間に融通が効いたんですよね。で、親父が店閉めて、仕事ない時期が1カ月くらい続いてて、どっか仕事ないかなーと思って、いつも買いに行ってるレコ屋行ったら、なくなってたんですよ、レコ屋が。つぶれて、改装してて。で「うわぁ~何できるんやろう」って思ったら、そっからひと月内くらいに喫茶店みたいなすごい洒落た店になってて、「あー喫茶店できんのかな」って思ったら、そこラーメン屋だったんですよ。
◇喫茶店みたいなラーメン屋さん、ですか?
そうそう。きれいな内装の。たまたま求人探してるときにラーメン屋募集があったんで、「ラーメン屋で働いてみようかな」って思って面接の場所行ったら、その(レコ屋跡地にできた)店やったんですよ(笑)。「あ、ここか」と(笑)。
◇引き寄せが(笑)。そのラーメン屋さんで働いてみようと思った理由はあるんですか?
なんとなくですね。居酒屋とかバーもちょっとやったんですけど、時間が逆転すると、夜遊べなくなっちゃって。
◇昼のお仕事で探していたんですね。そこが初めてのラーメン屋さんで?
そうですね。23(歳)とかかな。そこで4年くらい勤めてから、また別のラーメン屋に入ったんですけど、そのときが28になるくらいの頃。そこから34までなのでそこは6年半くらい。あとこれは、書かなくても全然いいんですけど、むちゃくちゃ借金あったんですよ(笑)。33歳になった頃に「ちょっとこのまま借金持っててもヤバいな」って思って、いったん実家に帰って、実家からそのラーメン屋に通って、お金あんまり使わないようにして。で、月10万くらい返済に回して、2年弱で200万くらいを全部返しました。
◇その間は、イベントもされていたんですか?
してましたね。
◇すごいですね。店長もやって、イベントもやりつつ、借金も返して。
ヤバかったですあの時(笑)。普通に今考えたらヤバい奴だなって(笑)。でまあ、返し終わったものの、いわゆる完全にブラック(リスト入り)なんですよ。お金も借りれないし、ローンも組めない状態で。なので結局、お店を自分でやるっていうのは諦めてたんですよ。だったから、2軒目のそのラーメン屋にわりと長くいたのかもしれないですね。
◇店長さんから店主さんへ飛躍したきっかけはなんだったんですか?
33~4くらいのときに、同級生で居酒屋やってる子が、「自分で店すれば? 」みたいな感じで言ってきて。でも「いやぁ金借りれないんだよね」って。借金返して1年経ったかなあってくらいのときだったんですけど、「一応銀行紹介するから、話だけしに行ってみたら?」って言われて。で、ダメ元で行ったんですよね。そしたら銀行の人が、「貸します」って言ってくれて。「僕、こういう経歴で……」って全部見してたからびっくりしましたね。(銀行の人は)「全然いいですよ」と。今になって分かるんですけど、やっぱり1年ちょいで200万返済してるっていうのと、約10年ラーメン屋にいて、その最後の方だけでぎゅっと200万は返済してるっていう。「こいつ多分返済能力ある」って思われたんでしょうね。多分そこが(貸してくれた理由として)一番強いのかな。
◇お友達はどうして「店すれば?」みたいなことを言ってくれたんでしょうね。
一緒に働いたこともあったんですけど、まあ彼はもともと借金とかもちろんなくて、ちゃんとしてたんで、「自分の店やってるっていいなあ」と思ってよく彼の店に行ってたんです。まあそういう話をしてる中で、彼的にも多分「独立すればいいのにな」って思ってたんだと思うんですよね、同じ調理科だったし。だからもちろんその子からの信用もあったんでしょうね。
◇お人柄を買われてというか、みなさん吉井さんに対する信用があったのかも?
まあラッキーですよね(笑)。
◇「持ってる」ってやつですね。そこからお金を借りられて、サカノウエユニークをオープンと。
そうですね。最初に場所を探すってなったときに、「地元でラーメン屋したいな」と思って。最初は僕の地元の和田の方をちょっと見て。あんまりお店がない住宅地。で、次にその隣町の坂之上の区域を全部見て回ってるときに、同級生のお父さんがここで[コープラーメン]っていうラーメン屋をしてたのを思い出したんですよ。当時は一軒家だったんですけど、そのおじちゃんがその一軒家をつぶしてこのマンションを建てたんですよね。で、それをふと思い出した時に、「おじちゃんまだラーメン屋してんのかな」と思って見に来たら、店のシャッターに貼り紙してあって、「閉店します」「御用の方はお電話ください」って電話番号も載ってたんですよ。で、おじちゃんに電話して。「マサヤくんの同級生なんですけど、ちょっとラーメン屋したくって、ここ貸してもらえないですかね」って話したら、「お!昨日(貼り紙を)貼ったんだよ」って。
◇なんと!! これまた引き寄せがすごいですね。
(おじちゃんからしたら)昨日貼って、次の日には息子の同級生から「ラーメン屋したいから場所貸してくれ」みたいな。で、その前に一件、塾か不動産屋かなんかの事務所借りたいっていう話が来てておじちゃんが貸そうかなと思ってたけど、それを断って、僕に貸してくれたんです。
◇結構人気のエリアなんですね。
僕が地元でしようと思った理由に一つあったのが、中学がひと学年10クラス以上、全校生徒1,000人以上いたんですよ。なので、昔働いてたラーメン屋のエリアとこっちの坂之上~和田エリアの周辺人口を全部調べて、照らし合わしたときに、圧倒的にこっちの方が人が住んでると。だったら、前のラーメン屋と同じかそれ以上の売り上げ出せるかもなと思って、坂之上に決めました。あともう一つはおじちゃんがここで28年ラーメン屋やってて、このマンションを建ててるわけですよね。地道に続けていけてたわけだから、「できるな」って思ったっすよね。
“遊び” で培った感覚と、探求に基づいた計算のバランス
◇2015年にいざ自分のラーメン屋さんを始めようと思ったときに「これはしたいな」とか、逆に「これはしたくないな」……とかいったことってありましたか?
当時だと、「ザ・ラーメン屋」みたいのが嫌だなと思ってたんで、すごい攻めたラーメン屋を作りたいと思ってたんですよ。「○○ラーメン」とか、「麺屋○○」とかって名前にしたくなくて。それで「サカノウエユニーク」って名前を付けたんです。「サカノウエ」は地名ですよね。鹿児島の人だと絶対分かるんですよ。「ユニーク」には「他にはない」とかっていう意味があって。僕は「ユニーク」って「面白い」とかっていう意味合いだと思ってたんですけど、ちゃんとした意味は「たった一つ」とか、そういう意味なんですよね? で、坂之上って、わりとラーメン激戦区なんですよね。だから、ほかのラーメン屋とは絶対に一線を画すラーメン屋、っていうような意味で、「サカノウエユニーク」って名前にしました。これに決めた時も、結構ググりましたね。被るのだけは自分の中で許されなくて。だからこだわりで言うとほんとに、「絶対にほかと被らない」っていうのを、めちゃくちゃイメージしてました。
◇ではそんな、店名に「ユニーク」を冠したお店のコンテンツ……例えばラーメンとか内装とか、そういった面でこだわった部分は何でしたか?
鹿児島でメインになってるのは豚骨ラーメンなんですけど、当時塩ラーメンでバーっと推してるお店ってなかったので、「塩をメインにする」っていうところと、あとはやっぱりユズの香りとか。あの、東京とかで流行ってたラーメン屋で[AFURI]ってとこがあるじゃないですか。で僕食べたことなかったんすけど、[AFURI]のラーメンって店もラーメンも全部かっこいいと思っていて、最初。2014~15年くらいにお店オープンする前に、食べたことないけど、イメージでそれ([AFURI]のラーメン)を作ってみたんです(笑)。
◇おおお、面白そうですね(笑)。
写真を見て、「こういうの入れてて、こういう感じなのかな?」みたいな(笑)。で、「ユズの香り」とかって書いてあったんですけど、「ユズってどうやって出してんのかな」っと思って分かんなかったんで、ユズの皮を仕入れて、それをペーストにしてスープに混ぜたりして。「おおもうめちゃくちゃユズだな。これでいいやん」みたいな(笑)。イメージで作るみたいな感じです。当時鹿児島にはそういうラーメンがなかったんですよ。ビジュアルも、焼き目の入ったチャーシューがどーんとのってるようなラーメンもなかったんで、これをメインメニューにしようって。最初は塩ラーメンのほかにユズ塩ラーメンっていうのも作ろうと思ってたんですけど―ユズ嫌いな人いるかもと思って―だけど、最初からユズ入ってて、そのインパクトがあった方が絶対イイ、と思って。出てきた時のインパクト重視、っていう感じです。
◇豚骨がメジャーだった中であえて塩を選んだ理由は何ですか? しょうゆとかでもいいわけじゃないですか。
前の働いてたラーメン屋が、塩ラーメン推しの店だったんですね。それもあって、って感じですね。でも鹿児島では豚骨は絶対メニューに入れないとダメっていうのがあるんです。
◇あくまでも塩をメインにはするけど、豚骨は入れるんですね。
結局一緒くらい出るんですよ。「とりそば」(塩ラーメン)と豚骨。鹿児島の人にとって「ラーメン」というのは絶対に「豚骨ラーメン」なので。あと、「これはしたくない」で言うと、メニュー表に写真は載せないっていうのが基本です。
◇それはなぜですか?
これは、僕が昔フードコーディネーターの資格とったときがあって、そこで勉強した中に、人は五感を使って食事をすると。味覚、聴覚、嗅覚、視覚、触覚。ごはんを食べるときに一番使う感覚って視覚なんですよ。で、一番使わない感覚って味覚っていう。
◇ええー! 面白い!
面白いですよね。だから、この店にはその要素を全部入れたんです。まずお店に来たときに、こういう雰囲気とか内装で、お客さんの事前期待値を高めるというか。「わ、いいお店だな」「おしゃれだな」とか。当時この感じのお店は鹿児島にはほんとなかったんで、「ここラーメン屋なんだ」みたいな感じで来て、座って、メニューに写真が載ってないんですよね。なので、料理出てくるまで分かんないじゃないですか。それからスタッフ間の会話とか、調理してる音とかで、聴覚を使って、作ってるときの匂いとかで、嗅覚を使うと。で、初めて料理出てきたときに、ここでもう一回視覚を使うんですよね。なのでうちの場合は、最初にお店に来た時点で1回目の視覚効果。で、このビジュアルのラーメンが出てきたときに2回目の視覚効果。チャーシューどん、みたいなラーメンはあんまりなかったんで、出てきたときにお客さんが「わっ」てなるんですよ。初めて見るラーメンの絵っていう感じ。
◇確かに。(写真を見ながら)これは……水菜ですか?
水菜はそれこそ[AFURI]のやつにのってたんで、いいなと思って。あとはレンコンチップス。これは、ほんとに試作する前日に「なんか足りねえな」と思ってそこのスーパーに見に行ったら、スライスした水煮のレンコンがあったので、「お、これちょっと揚げてみようかな」と思って、揚げてのせたらすげー食感良くて。で、味の邪魔をしないし食感も面白いっていうので、これのせようと思って。それでこのビジュアルで、出しました。10年くらい前だったんで、当時は結構新鮮だったみたいです。出てきたとき、みんなめっちゃ写真撮ってましたね。「うわなんだこれ!」って。
◇やっぱりさっきめちゃくちゃ面白いなと思ったのが、[AFURI]のラーメンを、音楽でいう「耳コピ」ならぬ「目コピ」(笑)? して、食べてないのに作り上げたっていうのが……(笑)。食べてないんですもんね?
食べてないです。サンプリングっすね(笑)。初めて[AFURI]食ったのは、多分[サカノウエユニーク]をオープンして4年くらい……。
一同:(爆笑)
あ、こんな感じかみたいな(笑)。思った以上にシンプルな味だったんでびっくりしました。
◇だからその「ユズって聞いたからペーストにしてみよ」みたいなのも、きっと調理学校での経験だとか、今までのラーメン屋での下積みだとかが生きてるんだなと思って。吉井さんは感覚と計算のバランスがすごく絶妙だなと思いました。
そうですね、なんかノリで作ってましたもんね(笑)。でもやっぱりうちの場合は、「おしゃれなラーメン屋を作ろう」みたいな感じで安易に行くとできないラインを、僕がもっていたというか。それは自信あるっすやっぱり。見せ方―お店の作り方とか、店で使うものとか―においては、他の人が真似できないところに金もかけるし、知り合いも友達もいるし。だから僕のラーメン屋以降、こういうおしゃれ系ラーメンってめっちゃ増えたんですよね。
◇他の人では真似できないセンス、みたいな部分ってどういったところで培われたと思いますか?
いや~分かんないっすね、でもクラブで遊んでた時ですかねー。だからその五感で食事をするっていうのも、見て、良い悪い決めるじゃないですか。このお店キレイ、汚い。店員さん良い、悪い。だから(自店の従業員に)「接客ちゃんとしなさい」って言ってたのも、やっぱりそこでお店の印象がつくんですよね。食べるまでにおいしいかおいしくないかができてる。なので最後に味覚が使われるまでの、ほかの4つの感覚を作るみたいな。
◇クラブのイベントやパーティーって、アタリ・ハズレがあるじゃないですか。百戦錬磨の吉井さんには良いパーティー・悪いパーティーを見極める審美眼がおありなんだろうなと。
いやー僕パーティー全部コケてましたからね(笑)。だからすごい借金まみれだったし。
◇でもそのコケた理由って、先行きすぎたからっていうのがあるんじゃないですか。
いやめちゃくちゃそれはあるっすね。当時鹿児島で観れないような、アングラなアーティストをめちゃくちゃ呼んでてMC漢とかを鹿児島に初めて呼んだのも僕なので。
◇なるほど。当時から既にアンテナがあったんですね。
当時HIPHOPのネタものとかを買うときは、財布の中にタイトルとアーティスト名書いた紙を入れてレコ屋に持って行ってましたね。自分で紙見ながら探して、「キタっ」みたいな瞬間があったり(笑)。もうめっちゃ掘ってたっすね。
◇そこから既にもう探究心というか、オタク心というか、ディギン精神があって。じゃないと、こんなにラーメンも追求できないと思います。
そうすね、まあ最終、豚骨もやってるし、中華そばまでいってるんで。
◇ほかにも、内装やアートもお店の特徴だと思うんですけど、作り方やモノのセレクトに関して、吉井さんの好みなのか、お店に合うものを、という基準という……。
(食い気味に)好みですね、完全に。僕の趣味と、僕の仲間と。
◇どんなものがお好きなんですか?
僕、アート作品好きなんですけど、音楽も好きだし、絵も好きだし、彫刻とかも好きだし、植物も好きで。で、まあ基本的には、民藝品から何から好きなんですよ。なので、ジャンルは結構ごちゃ混ぜです。こん中には、現代アートみたいなのもいっぱいあるし、こっちとかは「Akihiro Woodworks」っていう鹿児島の木工作家兄弟の作品。オープンしたときは知り合いじゃなかったんですけど、彼らのことは知ってたのでどうしても作品使いたいなと思って。最初はお兄ちゃんのジンくんが作ってる時計を自分で買って、飾ってたんですよね。そしたら、ある日ジンくんと、家具職人でお父さんのノボルさんと、弟のタクが3人で食べに来て。でまたある日イベントに出店してるときにジンくんがバッて来てすげー恥ずかしそうに「あの~僕、木工作家の……」「何度か行ってるんですけど……」みたいな(笑)。そっからすげー仲良くなって。それで弟のタクとかにこの額縁作ってもらったり。トイレの入り口にある鏡も、お座敷の奥にある緑色の時計も弟。ジンくんはもともと、この「ジンカップ」っていうカップが今めちゃくちゃ売れて。これで今ブルーボトルとかから呼ばれてるんですよ。で、春山にもお店があるんですけど、そっちを造ってくれたのが、Akihiro Woodworks。
◇確かに、民藝もあればアーティストさんの作品もあったりと、テイストはさまざまなんですけど、なぜか不思議と調和しているというか。
なんか良い感じですよね。あとは、スタッフが着たり販売したりもしてるお店のオリジナルTシャツのデザインとかは全部アーティストに頼みたいと思ってたんで、一番最初に頼んだのは、ステレオテニスっていう、電気グルーヴのツアーグッズ作ったりサンリオとかの大手もいろいろやってる作家さん。80年代モチーフの人なんで、ちょっと面白いかなと思って。その人は地元が宮崎の都城で、「東京と都城2拠点活動にしようかなあ」ってしてる年があって、そのときに鹿児島も一応視野に入れてたから、鹿児島で面白そうなお店をめっちゃ探してたらしいんですよ。したらうちのラーメン屋を見つけて、「ここ行ってみよう!」って食べに来て。「Tシャツ作ってくださいよ」って言ったら「いいよ」って。ノリで。
◇アーティストさんとつながっていくきっかけも、やはりそういうものが多いですか?ラーメン食べに来てくれて、とか。
そうですね。僕もともとクラブでDJしてたときにアーティストとかとも関わりあったんで、(アーティストが来たときに)「わあっ(憧れ)」っていう感じよりも、「あっ、なんか一緒にやりてえなあ」と思って、もうなんか、直接言うみたいな。
◇いいですね。どっちもプレイヤーだから自然につながっていくんですね。
人となりがモノを言う。静岡[cosa]での新たな挑戦
◇静岡[cosa]の話を。スタッフさんはどんな方を採りたいですか?
お店の雰囲気とかをある程度汲んでくれるしっかりした人ですかね。ラフに働いても全然いいんですけど、でもやっぱり接客業なんで。なんか、東京とかだとわりとどんな接客スタイルでも通用すると思うんです。だけど鹿児島も—多分静岡もあんまり変わんないと思うんですけど—スタッフの人となりってのが絶対大事なんで。僕やっぱりお店って、人でもつと思うんですよ。そのスタッフ一人ひとりにお客さんがつくので、やっぱり自分自身がしっかりしてて意識持ってる人が、働いてくれたらいいなって思いますね。
◇この子はよくできるな! みたいな人たちの共通点ってありますか?
うーん……やっぱり他のスタッフと上手くやれる。一人でやる仕事ではないので。やっぱりどれだけ信頼得られるかってところかなあと。上手く上に立つ人っていうのは、ちゃんと指示を出してほしいなっていうのはある。誰が上に立つかによって、店の雰囲気とか回転とかが変わってくるんで。
◇[cosa]には「サカノウエユニーク」という名前のまま持っていくんでしょうか?
そう思っています。ブランディングも含め別なんですけど。だからやっぱり名前はちゃんと出したいなあっていう。こういうの(アート作品)も置けるんだったら置きたいから。って考えると、まあ、名前がちゃんとあった方がいいのかなって。
◇鹿児島の外の人間からすると、「サカノウエ」が地名というのを、きっと静岡の人たちもそんなに知らないと思うので、ちゃんと固有名詞として「サカノウエユニーク」ってあるのがすごくすてきだと思います。
あとは向こうに行ったときに、たとえば移住して静岡にいる鹿児島の人もいるはずなんで、「[サカノウエユニーク]できた」ってなったらちょっとうれしいんじゃないかなと思います。
クラブのパーティーは総合芸術だ。流れる音楽はもちろん、箱の造りや置いてあるアート、ライブなどのパフォーマンス……いろいろな要素が絡み合って一夜のパーティーを形作る。それはきっと、いくつもの “夜を使い果たして” きた吉井さんが手がけるラーメン店も同じ。多様なアート作品が飾られるスタイリッシュな店内から、親切で朗らかな人柄のスタッフさんたち、独創性あふれる塩ラーメンまで、全てが調和してはじめて、五感で楽しむ[サカノウエユニーク]という総合芸術が完成する。鹿児島を飛び出して初となる常設店、静岡[cosa]では、どんなアートを見せてくれるのだろう!
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2015年、鹿児島・坂之上でスタートしたラーメン店。当時は少なかった「スタイリッシュなラーメン屋さん」として名を馳せ、豚骨ラーメンが主流の鹿児島で塩ラーメン推しを掲げるストロングスタイルで、瞬く間にその人気を不動のものにした。店舗営業のほか、イベントやフェスでの出店やコンビニとのコラボ商品のリリースなど、活動範囲は多岐にわたる。
住所 : 〒891-0150 鹿児島市坂之上4-19-67
営業時間 : 昼ごはん 11:00 – 15:00 (L.O 14:30) / 夜ごはん 18:00 – 21:00 (L.O 20:30)
定休日 : 火曜日