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FEATURE

Into the Light 住宅街に佇むモダンな宗教建築。駿府教会が説く“隣人愛” 日本基督教団 駿府教会

日本基督教団 駿府教会

静岡鉄道の日吉町駅から線路沿いを歩いていると、悠然とたたずむ立方体の建造物が突如現れる。プロテスタント派の「日本基督(キリスト)教団」に属する駿府教会だ。

外装は見事なまでに洗練され、我々が「教会」と聞いて連想するような鋭角な塔やステンドグラスなどの装飾もない。建物の角に掲げられた十字架だけが教会としてのシンボルの役割を果たしている。一方で入り口には「只今、会堂開放中」の看板が立っていることもあったりと、文字通り門戸が開かれた場所でもあるようだ。

さらにその駿府教会の運営に務めている牧師の中村 恵太さんも独特な空気の持ち主。誰に対しても偉ぶることもへりくだることもない。

そんな静岡市の隠れたスポットである駿府教会と中村牧師に迫る。

教会の中に案内いただくと、シックな外装とは裏腹に木の温もり溢れる礼拝堂が登場。天井から効果的に取り込まれている太陽光のおかげで、照明をつけなくても十分明るく、外から見るよりも広々と感じる。教会ならではの神秘的な静けさが漂うなか、中村さんとのお話が始まった。

神聖にして現代的。100年の歴史をもつ駿府教会。

日本基督教団 駿府教会 西川さん

◇はじめに駿府教会が現在の形になるまでの経緯を教えてください。

まず、(この建物ではなくコミュニティとしての)駿府教会は約100年ほど前にできました。明治の前からプロテスタントは静岡に伝導されていて、さまざまな教派がやってきて静岡のために活動していたんですが、その1つの教派から派生したのが駿府教会です。歴史は流れて、静岡市の「水落」に建っていた駿府教会は、2008年にこの葵区に移ることになりました。その設計を手掛けられたのが建築家の西沢 大良(たいら)さんです。21世紀美術館などを手掛けられた西沢 立衛(りゅうえ)さんのお兄さんですね。わたしはこの建物ができた数年後にここに赴任して、今年で8年目になります。

◇宗教建築としての神聖さとモダンなデザインが同居した素晴らしい教会ですが、当時の駿府教会から西沢さんに対してそのデザインに対する要望はあったんでしょうか?

ほとんどお任せだったと聞いています。まず西沢さんご自身がクリスチャンなので教会を設計することに意欲的で、駿府教会も「ぜひお願いします」となったそうです。でも礼拝堂として必要な条件を満たす最小限の要望は伝えたうえで、基本的には西沢さんに一任したんですね。わたしも初めて見た時は「こういう建物があるのか」と驚きました。世間一般にイメージされる教会の外観とは違いますよね。

◇プロテスタントにもさまざまな教派があるというお話でしたが、駿府教会は具体的にどういった特徴を持つ宗派なんでしょう?

歴史の話になってしまうんですが「改革・長老教会」という宗派で、プロテスタントのなかでもカルヴァンに遡ることができると言われています。ただ、いくつもあった宗派が二次大戦下に全て1つにまとめられました。それが「日本基督教団」です。戦後、この日本基督教団に残ったグループと出ていったグループがあり、私たちは残った側です。

日本基督教団 駿府教会

◇とても初歩的な質問なのですが、教会では主にどんなことを行っているんですか?

教会は何をもって教会かというと、洗礼と聖餐(せいさん)の儀を行うことです。駿府教会では毎週日曜に礼拝を行ない、毎週水曜にお祈りの会を開きます。礼拝は、イエス・キリストを信じる方々が集まって神様を讃えたり、わたしが聖書に基づいた説教を行ったりする場です。もちろん信者以外の方も来ていただけます。教会というのは誰でもウェルカムなんです。

◇毎週、説教をされるんですね。プロテスタントはキリスト教のなかでも「聖書の内容にしっかり立ち返る」という考えなわけですが、聖書の内容は難しいものも多いです。信者の方に対して、普段の生活レベルでどんな行動や思考を推奨されるんですか?

一言で言うならば「隣人愛」ですね。これを説明しようとすると長くなりますが、身近なことで言えば「気持ちよく挨拶しましょう」とかそういうことになります。マザーテレサが「世界平和の為に何ができるか」と聞かれた時に「自分の家族を愛しなさい」と答えたように、まずは目の前の人を愛すということ。そこに尽きます。

日本基督教団 駿府教会

◇「誰でもウェルカム」とおっしゃいましたが、間口を広げて信者の数を増やす、つまり布教活動も目的の1つなんでしょうか?また現在の日本のキリスト教の人口はどれくらいなんですか?

結果として数もついてくれば良いなとは思いますが、それよりも教会がこの地域においてどんなことができるかの方が大事です。まさに「隣人愛」の実践ですね。人口でいうと、キリスト教はよく日本の人口の1%程度だと言われたりもしますが、そもそもそのデータ自体があやふやなんですよ。例えば日本の宗教人口って実際の人口の2倍って言われているんです。

◇人口の2倍?どういうことでしょう?

お寺には「檀家」のリストがあって数が管理されています。神社にも「氏子(うじこ)」がいて、やはり数をカウントされている。さらに1人の人間が両方に登録されていることもある。つまり知らない間に、仏教にも神道にも加入している人が非常に多いんですね。だから実際の人口よりもはるかに多い数字が報告されているんです。

それに対してキリスト教というのは、洗礼を受けて初めてクリスチャンと見なされるというある種の基準がある。そうなるとたとえ「1%」だとしても実態はよりリアルなわけです。

◇一人ひとりが主体的に信仰しているという事実が統計上の数字よりも重要なんですね。

もちろん信仰の深さも段階的ですけどね。日曜の礼拝にも水曜のお祈りの会にも熱心に参加される方もいれば、年に三回くらいしか教会に来られない方もいます。でもそれでも良いんです。まとめると、キリスト教の信者数は多くはないけど、かといって全くいないわけでもない。その1人ひとりが重要な存在だというのが私の考えです。

隣人愛の実践と中村牧師が醸し出す「人間らしさ」

日本基督教団 駿府教会 オルガン

◇誰でも入館できる日があったりと外に開かれた印象を受ける駿府教会ですが、ここでイベントを催したりすることもあるんでしょうか?

オルガンを使ったコンサートを開催して地域の方に来ていただいたり、近所のフランス語教室の方々に教会を開放してシャンソン(フランスの大衆歌謡)のコンサートをやってもらったり、あとは詩の朗読会を催したりもしています。

◇まさに「誰でもウェルカム」ですね。Instagramで調べると #駿府教会 のハッシュタグで内装などの写真をアップしている方がとても多いですが、いわゆる「映え」目的の来訪が増えすぎると、本来の信仰の本質から遠ざかってしまうのではないでしょうか?

観光目的の方もたくさんいらっしゃいますが、どんな理由であれ足を踏み入れてくれるのはありがたいことですし、写真を撮ってアップするだけでも本質の一端は伝わるとわたしは考えています。ここは教会であり、教会は神様と出会う場所です。ちょっとでも何かに触れてもらうことが大切なんです。それに神様と出会ってもすぐにその本質を理解できる人は一人もいません。もし本質の全てを理解できる存在なら、それは神様ではないと思うんです。

◇きっかけはどうであれ、教会に訪れれば神様の存在を感じる機会があるという考えですね。

まあでも、正直頭にくる人もいますよ(笑) こちらはいろんな気持ちを持って待っているのに、約束した時間になっても来なかったり、こちらの話をあんまり聞いてくれなくて消極的だったりね。興味を持ってやってきた方に対しては、こちらも自然と「丁寧に接しよう」という気持ちになりますが、そうでない方もたまにいらっしゃいます。

◇そういった怒りや失望といった感情も素直に吐露されること自体が一般的な聖職者の方のイメージとは異なりますし、中村さんのお話を聞いているとフラットに接することをとても重視されているように感じます。

わたしも人間なので当然感情もありますし「畜生」と思うこともあります。わたしたち人間はこのように不完全だからこそ、神様の教えに立ち返らないといけないんです。それにここを訪れる方とは基本的にはどちらが上とか下とかはないですし、どんな方であれ与えられた全ての出会いに感謝しています。

日本基督教団 駿府教会

多くの日本人にとって馴染み深いとは言えないキリスト教。それでも人々に聖書の教えを噛み砕いて伝えてきた中村牧師の「まずは目の前の人を大切にするところから」というシンプルな話は不思議とスッと入ってくるし、自分の言動を省みる気分にさえなった。それは壮麗な宗教建築におけるムードがそうさせたのか、中村牧師本人のまっすぐな眼差しや迷いのない口調のなせる技なのか…。筆者には判別しかねる。
気になる方はぜひ現地に赴いて確かめてみてほしい。あなたの信仰に関わらず、駿府教会は誰に対してもオープンな場所なのだから。